一生思春期。

18で時計は止まらないし。

推しが卒業するということ

 

 2015年3月1日、私はカナダへ一ヶ月の留学へ行くため、関西からの乗り継ぎで羽田空港にいた。また、学校の友達の中にNMBファンがいたため、その子と「推しめんだれー??」とたわいもない話をしていた。

 

当時の私の推しは、なつみんこと山岸奈津美ちゃん推しであった。

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しかし、2ndシングル「オーマイガー」で訳も分からず選抜に入った以来、選抜にも入れない一期生、つまり干されであったのである。しかし、抜群のルックスとスタイル、ダンスも手足の長い動きでいつも一生懸命、その姿を見ると、応援せずにはいられなかった。かれこれデビューから4年間推し続けていたのである。

 

話を戻す。その友達はみるきー推しで今日YNNあるねんといい、私はなつみん推しで今日公演やねんといってとりあえずカナダに行ってる間に卒業発表しやんかったらそれでいいわといいながら、笑っていた。

 

お察しの通り、山岸奈津美ちゃんはその1時間後に卒業発表をしたのである。

 

友達がトイレから戻ってくると、「なぁ、大丈夫…?」と聞いてきた。何かわからず、「え?なにが??」と聞き返した。友達は「察して。」ただこれだけを言った。ただこれだけで察せてしまった。まじか、、、今から日本から出るというのに、、、。私は涙が止まらなかった。

 

いろいろな思い出がよみがえってきた。

私が推すきっかけとなった劇場公演での雨の動物園でのぞうさん。かわいかった。アイドルの夜明けではスネアドラムをたたいて、パーカッション経験者であった私は教えてあげたいとひたすら胸を焦がしたものである。1年前の組閣ではMからNに。正直私自身Mが大好きであっただけに、推しが移動するだけで、Mがあんまり見なくなるという事実がすごくつらかった。

また、写メ会や握手会、奈津美ちゃんのことがほんとひいき目なしに可愛かったし、大好きであった。(そういう性癖があるわけではない)

 

フラッシュバックとともに涙が出てくる。出会って数時間の友達のハンカチを借りる羽目になるとは思わなかった。

 

羽田から出発する機内で私は泣きながらGreen Flashを聞いた。

 

奈津美ちゃんの卒業公演はそれから約2週間後に行われた。正直、現場にいたかったというのが正直なところではあるが、幸せに卒業してくれたということ私は心から嬉しかった。また、帰ってから次の日、時差ボケでふらふらしながらも、大阪城ホールでのシングルリリースイベントにも参加し、なつみんに精一杯気持ちを伝えるかのようになつみんの内輪を振った。

 

ありがとう、なつみん。

 

心から強く思って。

もちろん、このまま芸能界を引退するわけではないし、モデルになるという夢をかなえるために彼女にはまだまだ頑張っていってもらいたい。

だが、なつみんは私の希望であった。不器用で真面目であまり評価はされていなかったけれど、ファンの人はみんなあたたかった

素晴らしいアイドル人生を歩んだ。

 

同時にこの記事を読むことによってひとりでもモデル山岸奈津美を認知してくれる人が増えることを祈って。